今回は、直方石炭記念館の中を救護訓練坑道まで紹介。
救護訓練坑道の見学 1 in 直方石炭記念館
救護訓練坑道の見学 3 in 直方石炭記念館

中に入ると蒸気機関車がお出迎え。
実際に石炭輸送に使われていた物を復元したそうです。

見えませんが、写真を撮っている場所の右が本館。
正面の建物が2番館、
奥の蒸気機関車は入口のと同様、実際に使われていたものを直方市が買い上げて組み上げて修復。
実は、この機関車がとんでもなく貴重な代物らしくJRが譲って欲しいと言っているそうですけど断っているんだとか。
後ほど写真を出します。
正面の建物の手前を右に進むと目的の訓練坑道です。

圧縮空気式機関車(エアーロコ)
自重:2.4トン、牽引力:530kg
速度:4km/h、自走距離:400m程度/回
本機関車は沿層掘進の炭車運搬や排気坑道の諸運搬に使用するものです。
これは、坑道内で発生するメタンガスに対して安全であると言う理由から使われました。
本機は、1個のレシーバーに圧力5〜7kgの空気を入れて約400m程度自走します。
従って気圧を供給する箇所を多く設ける必要があります。
他に150から200気圧の空気を使用するものもあります。
展示品は、上三緒(かみみお)・芳雄(よしお)の両炭坑に使用されてたものです。

ディーゼル機関車
自重:6.5トン、出力:33馬力
牽引力:580〜2145kg、速度:5〜13km/h
燃料消費量:25?/?/? ※単位 読み取れず
本機関車は大ノ浦炭鉱内主要水平坑道にて石炭車、人車の輸送に当たっていたものです。
ここでは、エアーロコを坑道内に運ぶシチュエーションのようです。

左を見ると石炭を運ぶ電気機関車。
自重:5トン、出力:20馬力×2台=40馬力
牽引力:990〜1250kg、速度:11〜24km/h
パンタグラフ式
本機関車は鯰田(なまずた)炭坑坑外運搬用として各坑口と選炭場間を走っていました。
明治末年に輸入機関車にて運転開始し、人車には家族も乗せたので、長く附近の人々に親しまれていたそうです。

斜坑道です。結構急斜面。

頂上。今回見学できるのは開いているところだけです。
奥の方に水平坑道が続いています。

斜坑道遠くの水平坑道。

上から見下ろす斜坑道

斜坑道と記念館


奥の水平坑道


慰霊碑
写真には写ってませんが、記者が10人程、館長を取り囲んで説明を聞いていました。
旧長崎刑務所ではテレビ朝日だけだったのに…。




先程の入口から入った正面。
報道関係者は入っていける見たいですが通行止めです。
内部はボロボロで天井にはあちこち小さな穴が開いておりうっすら外が見えます。
右の暖炉みたいなのは煙炊き口。

斜坑道。
転んだらあっという間に下まで行く感じの傾き。


救護訓練坑道平面図

訓練風景の写真
1885年 明治18年11月 | 筑豊石炭鉱業組合設立 (日本で最初の組合連合団体、14社29炭坑発足) |
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1886年 明治19年 | 筑豊ひらた業組合結成(若松) | [ ひらた(漢字は舟ヘンに帯) ] 水深の浅い川の航行に適するように喫水を浅く、 また荷物を多く積めるように船底を広く平らにした舟。 石炭の意味で使われることもあったらしい。 |
1891年 明治24年 | 筑豊興業鉄道敷設(若松〜直方) |
[ 開通当時の若松への輸送量 ] 川ひらた:69万トン 鉄道 :18万トン |
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1894年 明治27年 | 日清戦争(明治28年まで) |
1904年 明治37年 | 日露戦争 |
1910年 明治43年7月 | 筑豊石炭鉱業組合直方会議所を設置 |
1912年 明治45年 | 救護練習坑道建設(長さ11m、断面積297平方メートル) |
1914年 大正3年 | 三菱方城炭坑ガス爆発(687人死者) |
1915年 大正4年1月 | 直方市御館山に鉱山安全灯試験場設置 (福岡鉱務署と共同運営→後に農商務省直属) |
1917年 大正6年2月 | 石炭坑爆発予防調査練習所に改称 |
1917年 大正6年 | 筑豊鉱山学校設立 (筑豊石炭鉱業組合により創立) |
1918年 大正7年 | 第一次世界大戦 |
1919年 大正8年 | 筑豊鉱山学校開校 |
1920年 大正9年 | 石炭鉱業組合救護練習所を設置 |
1923年 大正12年4月 | 筑豊石炭鉱業組合救護練習所として発足 |
1925年 大正14年 | 坑道改築(総延長117.6m) |
1927年 昭和2年4月 | 筑豊鉱山学校内に試験坑道新設 →福岡鉱山監督局に寄付 |
1934年 昭和9年11月 | 模擬坑道を新築し、救護練習所として発足 (筑豊石炭鉱業会を改称) |
1937年 昭和12年 | 日華事変勃発 |
1941年 昭和16年 | 太平洋戦争 石炭鉱連、筑豊石炭鉱業会解散 |
1950年 昭和25年 | 朝鮮動乱 |
1960年 昭和35年 | 三池争議 |
1966年 昭和41年11月 | 練習坑道をコンクリートアーチ坑道に改良。 (総延長117m)現在に至る。 |
1968年 昭和43年 | 第4次石炭答申 |
1971年 昭和46年7月20日 | 直方市石炭記念館開設 |
2007年 平成19年 | 直方市石炭記念館開設より36周年 |
2007年 平成19年7月21日 | 36年ぶりに救護訓練坑道の一般公開 |
今回は、ここまで。
次はどうしよう。
石炭輸送用機関車など…かな。
救護訓練坑道の見学 1 in 直方石炭記念館
救護訓練坑道の見学 3 in 直方石炭記念館