2008年01月19日

救護訓練坑道の見学 2 in 直方石炭記念館

今回は、直方石炭記念館の中を救護訓練坑道まで紹介。
救護訓練坑道の見学 1 in 直方石炭記念館
救護訓練坑道の見学 3 in 直方石炭記念館
直方石炭記念館35
中に入ると蒸気機関車がお出迎え。
実際に石炭輸送に使われていた物を復元したそうです。
直方石炭記念館36
見えませんが、写真を撮っている場所の右が本館。
正面の建物が2番館、
奥の蒸気機関車は入口のと同様、実際に使われていたものを直方市が買い上げて組み上げて修復。
実は、この機関車がとんでもなく貴重な代物らしくJRが譲って欲しいと言っているそうですけど断っているんだとか。
後ほど写真を出します。
正面の建物の手前を右に進むと目的の訓練坑道です。
直方石炭記念館37
圧縮空気式機関車(エアーロコ)
自重:2.4トン、牽引力:530kg
速度:4km/h、自走距離:400m程度/回
本機関車は沿層掘進の炭車運搬や排気坑道の諸運搬に使用するものです。
これは、坑道内で発生するメタンガスに対して安全であると言う理由から使われました。
本機は、1個のレシーバーに圧力5〜7kgの空気を入れて約400m程度自走します。
従って気圧を供給する箇所を多く設ける必要があります。
他に150から200気圧の空気を使用するものもあります。
展示品は、上三緒(かみみお)・芳雄(よしお)の両炭坑に使用されてたものです。
直方石炭記念館38
ディーゼル機関車
自重:6.5トン、出力:33馬力
牽引力:580〜2145kg、速度:5〜13km/h
燃料消費量:25?/?/? ※単位 読み取れず
本機関車は大ノ浦炭鉱内主要水平坑道にて石炭車、人車の輸送に当たっていたものです。
ここでは、エアーロコを坑道内に運ぶシチュエーションのようです。
直方石炭記念館39_2
左を見ると石炭を運ぶ電気機関車。
自重:5トン、出力:20馬力×2台=40馬力
牽引力:990〜1250kg、速度:11〜24km/h
パンタグラフ式

本機関車は鯰田(なまずた)炭坑坑外運搬用として各坑口と選炭場間を走っていました。
明治末年に輸入機関車にて運転開始し、人車には家族も乗せたので、長く附近の人々に親しまれていたそうです。
直方石炭記念館40
斜坑道です。結構急斜面。
直方石炭記念館41
頂上。今回見学できるのは開いているところだけです。
奥の方に水平坑道が続いています。
直方石炭記念館42
斜坑道遠くの水平坑道。
直方石炭記念館43
上から見下ろす斜坑道
直方石炭記念館44
斜坑道と記念館
直方石炭記念館45 直方石炭記念館46
奥の水平坑道
直方石炭記念館47 直方石炭記念館48
慰霊碑
写真には写ってませんが、記者が10人程、館長を取り囲んで説明を聞いていました。
旧長崎刑務所ではテレビ朝日だけだったのに…。
直方石炭記念館49 直方石炭記念館50 直方石炭記念館51 直方石炭記念館52
先程の入口から入った正面。
報道関係者は入っていける見たいですが通行止めです。
内部はボロボロで天井にはあちこち小さな穴が開いておりうっすら外が見えます。
右の暖炉みたいなのは煙炊き口。
直方石炭記念館53
斜坑道。
転んだらあっという間に下まで行く感じの傾き。
直方石炭記念館54 直方石炭記念館55
救護訓練坑道平面図
直方石炭記念館56
訓練風景の写真
年表
1885年
明治18年11月
筑豊石炭鉱業組合設立
(日本で最初の組合連合団体、14社29炭坑発足)
1886年
明治19年
筑豊ひらた業組合結成(若松)
[ ひらた(漢字は舟ヘンに帯) ]
水深の浅い川の航行に適するように喫水を浅く、 また荷物を多く積めるように船底を広く平らにした舟。 石炭の意味で使われることもあったらしい。
1891年
明治24年
筑豊興業鉄道敷設(若松〜直方)
[ 開通当時の若松への輸送量 ]
川ひらた:69万トン
 鉄道 :18万トン
1894年
明治27年
日清戦争(明治28年まで)
1904年
明治37年
日露戦争
1910年
明治43年7月
筑豊石炭鉱業組合直方会議所を設置
1912年
明治45年
救護練習坑道建設(長さ11m、断面積297平方メートル)
1914年
大正3年
三菱方城炭坑ガス爆発(687人死者)
1915年
大正4年1月
直方市御館山に鉱山安全灯試験場設置
(福岡鉱務署と共同運営→後に農商務省直属)
1917年
大正6年2月
石炭坑爆発予防調査練習所に改称
1917年
大正6年
筑豊鉱山学校設立
(筑豊石炭鉱業組合により創立)
1918年
大正7年
第一次世界大戦
1919年
大正8年
筑豊鉱山学校開校
1920年
大正9年
石炭鉱業組合救護練習所を設置
1923年
大正12年4月
筑豊石炭鉱業組合救護練習所として発足
1925年
大正14年
坑道改築(総延長117.6m)
1927年
昭和2年4月
筑豊鉱山学校内に試験坑道新設
→福岡鉱山監督局に寄付
1934年
昭和9年11月
模擬坑道を新築し、救護練習所として発足
(筑豊石炭鉱業会を改称)
1937年
昭和12年
日華事変勃発
1941年
昭和16年
太平洋戦争
石炭鉱連、筑豊石炭鉱業会解散
1950年
昭和25年
朝鮮動乱
1960年
昭和35年
三池争議
1966年
昭和41年11月
練習坑道をコンクリートアーチ坑道に改良。
(総延長117m)現在に至る。
1968年
昭和43年
第4次石炭答申
1971年
昭和46年7月20日
直方市石炭記念館開設
2007年
平成19年
直方市石炭記念館開設より36周年
2007年
平成19年7月21日
36年ぶりに救護訓練坑道の一般公開
今回は、ここまで。
次はどうしよう。
石炭輸送用機関車など…かな。
救護訓練坑道の見学 1 in 直方石炭記念館
救護訓練坑道の見学 3 in 直方石炭記念館
posted by へじほぐ at 15:32| Comment(0) | 近代建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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