地図展2006 in 大阪(見物編)


2006/11/12(日)
地図展 2006 in 大阪に行ってきましたので遅ればせながら報告を。
現地
この日の大阪城付近は、晴れているけど小雨ぱらつく妙なお天気。
正面は大阪城ホール。工事中で通行止め。
正面の照明も何かの工事中。
赤矢印の先が会場の「城見ホール」。
会場
想像では小学校の体育館位の広さだったのですが、実際には、40畳位の部屋1つに幅2m×20m位の通路って感じでしょうか。
展示物は、壁際に配置され、壁に沿って見ていくようになっています。
広い部屋の中央には伊能忠敬大図(いのうただたかたいず)の近畿地方が床に敷き詰められています。
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瀬戸内海 淡路島 淡路島から大阪を臨む
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琵琶湖 琵琶湖と足
展示物
「測量日記」
「日食観測簿」伊能忠敬は、測量作業の全日程について日記を書き残しています。
日記には、天候、宿の出発時刻、測量作業で通過した村名、村高、家数、到着時刻、宿泊先名、夜間の天候と天測の有無、特記事項などが克明に記録されています。
ここに展示した「測量日記」は、第五次測量の一部で、大阪地方には、1805年8月16日に岸和田城下泊。
17日に堺町泊。
18日から29日まで大阪斎藤町旅宿に宿泊したことが記されています。
寛政10年(1798年)10月江戸深川黒江町(江東区)での伊能忠敬による日食測量の書類距離を測る
伊能忠敬は、経度を測定するために、日食や月食時に異なる場所から同時に観測を行い、その時間差や距離から経度を算定しようと試みましたが、使用していた垂揺球儀(振り子時計)が不正確であったことや観測地が異なる場所での同時観測がわずかしか出来なかったことなどから信頼できる結果が得られなかったため伊能図の作成には役立てられませんでした。
【観測簿で使用されている用語の解説】
朔食(さくしょく):月の第一日
推歩(すいほ):計算
初虧(しょき):かけはじめ
食甚(しょくじん):食の最大
復円(ふくえん):かけおわり
鉄鎖(てっさ)勾配を測る
距離測定用の鉄の鎖であり、両端に輪を持った内法(うちのり)1尺(約30cm)の鉄線を鎖状に60本(10間)つないだ忠敬考案のものです。 この鉄鎖は現存しておらず、正確な形は分かっていません。 このレプリカは、実際の長さの60本(10間)で作製しています。
間縄(けんなわ)
距離測定用の縄であり、最初はごく普通の苧麻(ちょま)間縄が使われました。
縄は価格が安いが水分による伸縮があって強度が弱く、強風に煽(あお)られるなどの問題もあり、鉄鎖(てっさ)とともに併用されました。
なお、第一次測量では歩測(ほそく)が中心であったが、第二次測量から徹底して間縄を使用し、第三次測量以降は間縄とともに鉄鎖も用いられていました。
間縄の長さは、60間で作られており、このレプリカは、22間で作製しました。
量程車(りょうていしゃ)
車輪を回転させて回転数で距離を測る道具で、忠敬考案のものです。 実際は、路面状況が悪く誤差が多いことから、途中から歩測に切り換えられたようです。
小象限儀(しょうしょうげんぎ)角度を測る
道路の勾配(こうばい)を測るものであり、割円八線対数表(かつえんはっせんたいすうひょう)により道路の斜距離(しゃきょり)を平面距離に変換するために利用されたものです。
半円方位盤(はんえんほういばん)伊能大図
遠方の目標となる山岳、島嶼(とうしょ)、岬などの方位を精密に測るために使われました。
中央の磁石で北か南の方位を正しく合わせ、目標を狙い半円の目盛りで方位を読み取りました。
忠敬が考案したもので、彎か羅鍼(わんからしん)により正確な測定が出来ます。
※”わんからしん”の"か"は、「穴かんむり」に「果」
伊能大図は、縮尺が3万6千分の1で、伊能忠敬の測量成果に基づき作成された実測図で、全国214枚でカバーしてます。伊能中図
ここに展示してある「大阪 尼崎」の図は、2001年3月に米国議会図書館で発見された伊能大図207枚のうちの1枚で、米国議会図書館の許可を得て、同館の所蔵図を複製したものです。
この図は、国土地理院で彩色復元を行う前の図で、国土地理院の前身である参謀本部陸地測量部の輯製(しゅうせい)20万分1図作成のための骨格的基図として模写されたものと考えられています。
※輯(しゅう):1つにまとめること。集めること。
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伊能小図伊能中図は、縮尺が21万6千分の1で、実測図である大図を縮小して作られており、全国を8枚でカバーしています。
ここに展示してある「中部近畿」の図は、伊能中図8枚組の1枚で、国土地理院が所蔵している図を複製したものです。
国土地理院の図には、明治7年(1874)以降、陸軍参謀局で複写したものと記されており、明治期に複写された図と思われます。
この図は、他の伊能中図と比べ経緯線が細く文字などを避けずに引かれている、天候箇所を示す「☆」記号が「◎」記号に変更されている、といった特徴があります。
近代地図作成への伊能図の活用伊能小図は、縮尺が43万2千分の1で、実測図である大図を縮小して作られており、全国を3枚でカバーしています。
ここに展示してある「東日本」の図は、伊能小図3枚組の1枚で、東京都立中央図書館の許可を得て、同館の所蔵図を複製したものです。
この図は、測線に沿った地名とともに、目標となる寺院や城そして沿道の風景などを鮮やかに彩色するなど美しい仕上がりになっているのが特徴です。
日本における伊能図の利用としては、明治初年には国土地理院の前身である内務省地理局及び陸軍省における一般供用図・沿岸測量基図・兵要図基図などに大いに活用され、なかでも明治時代の代表地図として賞賛された参謀本部陸地測量部の輯製(しゅうせい)(輯成(しゅうせい))20万分1図の骨格的基図として模写・利用されました。伊能大図(米国)の復元図作製
その当時の主な事業について略年表で紹介します。
・明治3年 伊能小図による「官版実測日本地図」(幕府開成所、慶長3年)を大学南校から再出版
・明治6年 伊能図を編纂(へんさん)し銅板印刷による「大日本全図」を刊行
・明治9年 参謀局で伊能図の模写に着手
・明治12年 測量課長小菅智淵(こすげともひろ)が「全国測量一般の意見」(全国の三角測量と2万分1細部測量の実施)を上申したが経費の制約から「全国測量達成意見」(三角測量によらない迅速測図(じんそくそくず)で全国整備。後年、全国整備は5万分1図に変更)に変更・提出。
この認可により、全国測量の基礎がなった。
・同年 伊能中図を基に「軍管図(ぐんかんず)」の調製を完了
※調製(ちょうせい):注文に合わせてこしらえること
・明治13年 伊能図を基に160万分1「日本全国輿地図(にほんぜんこくよちず)」を作成
・同年 関東地方の「2万分1迅速測図」の作業開始(明治19年完了)
・明治17年 伊能図などを基に「輯製(しゅうせい)20万分1図」の編集に着手(明治26年完了)
・明治21年 陸地測量部(りくちそくりょうぶ)が発足(初代部長に小菅智淵)
以上のように、伊能大図などを基に地形図の全国整備が進められ、名実ともに我が国の測量・地図事業の基礎が確立され、国内の輯製(しゅうせい)20万分1図及び5万分1地形図整備などの大計画が進められました。
そして現在の国土地理院では宇宙技術など最新の技術を利用した測量・地図作成の事業へと継続・発展してきています。
(いのうだいず(べいこく)のふくげんずさくせい)
伊能隊の測量方法国土地理院では、「伊能大図(米国)」の貴重な地理史料としての重要性を考え、このデジタルデータによる保存と、手彩色による「復元図」の作製を行うなど、広く一般に公開・展示する事業に取り組んでいます。
この復元図(複製図)の作製方法は次のとおりです。
まず、米国議会図書館からデジタルデータ(207枚)を入手し、このうち山景、海面などに彩色のないもの(169枚)について、伊能忠敬から7代目の洋画家・伊能洋(いのうひろし)氏の監修により、若手日本画家の手彩色により復元しました。
手彩色に当たっては、山川、海面や沿道風景など絵画的な部分を中心に、現存する国内の図を参考に伊能図の華麗、精細なイメージを再現するように努めました。
次に、彩色した図を再デジタル化し、展示用の原寸大の出力図を作製しました。
最終的に、全ての大図の接合を確認しながら各地図面の周辺をカットし、両面にラミネート加工したものです。
伊能測量の特徴=導線法(どうせんほう)+公会法(こうかいほう)+天文測量=繰り返し測量で精度を確保伊能隊・測量工程図
※導線法とは測線に沿い距離と方位(角度)を測りながら前進する測量法
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※距離は旅行距離による。
第1次測量 測量地:蝦夷地東南部など
出発 :寛政12年(1800)閏 4月19日
帰着 :寛政12年(1800) 10月21日
期間 :180日間
距離 :3225km
隊員 :6人
第2次測量
測量地:伊豆以北の本州東岸など
出発 :享和元年(1801) 4月 2日
帰着 :享和元年(1801)12月 7日
期間 :230日間
距離 :3122km
隊員 :6人
第3次測量
測量地:出羽・越後など
出発 :享和2年(1802) 6月11日
帰着 :享和2年(1802)10月23日
期間 :132日間
距離 :1701km
隊員 :7人
第4次測量
測量地:東海・北陸など
出発 :享和3年(1803) 2月25日
帰着 :享和3年(1803)10月 7日
期間 :219日間
距離 :2177km
隊員 :8人
第5次測量
測量地:紀伊・山陽・山陰など
出発 :文化2年(1805) 2月25日
帰着 :文化3年(1806)11月15日
期間 :640日間
距離 :6993km
隊員 :18人
第6次測量
測量地:四国・大和など
出発 :文化5年(1808) 1月25日
帰着 :文化6年(1809) 1月18日
期間 :377日間
距離 :4568km
隊員 :16人
第7次測量
測量地:九州東南部・中国内陸部など
出発 :文化6年(1809) 8月27日
帰着 :文化8年(1811) 5月 9日
期間 :631日間
距離 :7405km
隊員 :18人
第8次測量
測量地:九州残部・中国内陸部など
出発 :文化 8年(1811)11月25日
帰着 :文化11年(1814) 5月23日
期間 :914日間
距離 :1万3083km
隊員 :19人
第9次測量(伊能忠敬は不参加)
測量地:伊豆諸島など
出発 :文化12年(1815) 4月27日
帰着 :文化13年(1816) 4月12日
期間 :340日間
距離 :1433km
隊員 :11人
第10次測量 第1回
測量地:江戸府内幹線測量
出発 :文化12年(1815) 2月 3日
帰着 :文化12年(1815) 2月19日
期間 :17日間
距離 :不明
隊員 :約13人(推定)
第10次測量 第2回(伊能忠敬は不参加)
測量地:江戸府内細測
出発 :文化13年(1816)閏 8月 8日
帰着 :文化13年(1816) 10月23日
期間 :74日間
距離 :不明
隊員 :約20人(推定)
お土産
その1:地図記号てぬぐい
地図記号がちりばめられた手ぬぐい。その2:近畿地方陰影断彩余色立体図
長さはほぼ畳の短辺くらい。
公募で決まった「老人ホーム」と「風車」の記号もしっかり描いてます。
この2つは、来年の地図から載る予定です。
その結果、地図上の老人ホームの注記はなくなりこの記号に置き換わります。
風車は、北海道と鹿児島に多く存在しますので探してみるのも良いかも。
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立体眼鏡を使うと立体的に見えます。その3:世界遺産世界地図 2007年カレンダー
とは言え、3つ位の平面が浮いているような感じですけど。
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世界地図に選ばれた20の世界遺産の位置がマーキングされた2007年カレンダーその4:「地図が好き」マガジン 月刊 地図中心
その中から2つの世界遺産を紹介。
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2006年10月号 通巻409号
特集 淀川・大和川
アンケートに答えた後のくじで当たったもの。4等でした。
興味が沸いた記事の一部を紹介。
他にも、小学生の描いた地図とか面白かったです。
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おまけ:たこべえ
新大阪駅の売店にて購入。
某多数のテレビ番組で話題になったと有ります。
大阪の知り合いは知らんかったけど…。
おにぎりせんべいみたいな味でほんのりたこやきの味がします。
食べ始めると止まらなくなるので小分けされたこのサイズは食べ過ぎ防止によいかも。
でも、内容量21gで105円(税込み)と言うのは高い気がします。
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感想
最終日しか行っていないので全体の活況状態と言うのは判らないけれど、入場無料で最終日が日曜であることを考えるとこの日以上の参加者がいたとは思えないので、会場としてはそこそこ入っていたとはいえ それ程混雑せずスムーズに閲覧できたのはイベントとしては淋しい状態であったと思います。
勿論、見る分には非常にありがたい状態なのですが。
地図のことや防災のことに興味を持って欲しいと言うスタッフの熱意は見えつつも、スタッフに質問する人がほぼ皆無だったのは来場者にあまり興味をもたれなかったと言うことなんじゃないかと思ってしまいます。
勿論、ただ、伊能忠敬の大図や昔の大阪の写真(撮影不可)を紹介するだけならば充分だったろうし、来場者も自分の家の辺りが描かれているか確認したりして楽しめたと思うけれど。
折角多数いたスタッフが手持ち無沙汰でかわいそうでした。
私としては、来場者が実際測量を体験できたり計算をするようなイベントがあっても良いんじゃないかと思います。
そうなると会場ももっと大がかりになりお金も掛かりますけど、1000円程度の入場料を取っても良いかな。
その代わり満足行くような物にしないと行けませんが。
遊びながら地図や防災について学んでいければ記憶に残ると思います。
まぁ、地理院も予算がないから難しいと思いますが協賛を募って出来ないものかと。
今回は伊能大図を見ることが出来たので良かった。
全国図が見られたらもっと良かったです。
伊能忠敬は、確か49歳で数学や天文学の勉強を始め、61歳から測量の旅に出たとパネルに書かれていた気がします。
まだまだ、これから何度でもやれるんだと力づけられます。
松本清張も作家デビュー遅かったですね。
まだがんばれますね。